客観的な継承


ディスカバリーには豆の表面温度を計る温度センサーがついてます。

ビヨヨーンとあるやつです。

私が師と思ってる橘さんの焙煎機は古い型の富士ローヤルR 101

で、温度センサーが何故か排気流路の途中でついていて

全くあてになりません(トーマスくんという名前があり)。

見学を何度もさせていただいてた時から、橘さんが温度計に頼らなくても適切な焙煎を行われているのには『豆と話をして焙煎している』という事につきると思ってきました。

私は焙煎機を購入してからディスカバリーにも試練を沢山与えられました。やはり行き着くところは『数字だけで豆を見ていては駄目だよ』という事でした。全体を通して豆の変化を見て、音を聞いて、においを感じ、それに自分自身が合わせていくことでした。

橘さんがトーマスくんにメスを入れた事を以前知りました。橘さんはその時に客観的な継承という言葉を仰られていました。

トーマスくんにメスを入れたからといって、自分は温度センサーに頼る焙煎を行っていくつもりはないと仰っていて、でも客観的な指標も後の世代に残していかなければという思いもとても強く感じました。

私は、実はあまりこの温度センサーというのをそんなにあてにしてないというか、出来ないとも思ってきました。どのプロファイルでもいつも同じ時間、同じ温度には絶対なり得ないからです。豆がはぜる時間も連続性もいり止めの時間も温度もいつも違います。

だから橘さんはずっと、『豆と話が出来るようになりなさい』と仰って下さったのだと思うし、客観的に伝えきれない部分もあるからこそ、温かく時には厳しく『豆と話が出来るようにということはそういうことだよ』と仰っていたのだと思います

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